加盟者の声

 
 

【タイトル】21と共に歩む-そのA-FC加盟はしたものの
 
【加盟者名】正井 滋 ファミリーメガネ(有)
 
南岩国店の2月の売上げが60万というのは、私たちにとって大変ショックでした。
店の前が工事中で、お客様の出入りが難しかったという理由はありましたが.・・・・
17万の給与も遅配せざるを得なくなりました。

社長兼経理担当の中室氏の苦悩がますます深まりました。
社長としての責任感から、母親の名義の土地を担保として提供したものの、不安は
大変大きいものがあったと思います。
柳井店は大谷氏と私が担当し、南岩国店は中室氏と畑口氏が担当しました。

私たち4人の関係は大谷氏、畑口氏そして私がタナカの51年入社の同期で
中室氏は大谷氏と私のタナカ徳山店での先輩でした。
田中家という同族間の問題から端を発した労使紛争では、最後まで社長派に
寝返りをしなかったという間柄でもありました。

タナカ在職中は中室氏が萩店の店長。大谷氏が徳山店の次長。
畑口氏が岡山表町店のコンタクト室長。そして私が本部の採用教育課の課長でした。
人材的には申し分ないくらいの陣容と自負していたにもかかわらず、売上げは恥ずかしい
ものでした。

1+1+1+1が4にもならない。結局はお互いがキズを舐めあっている状態でした。
何とかしなければという気ばかりが先行して、悶々とした日が続きました。
1988年(昭和63年)の秋頃、平本さんから電話がありました。
「RCも基盤が出来つつあるので、フランチャイズを展開していくつもりだが、加盟しないか」
という内容でした。

4人の間で21に加盟するかどうかの喧々諤々の議論が続きました。
中室氏と畑口氏は、平本さんを良く知らないという漠然とした不安が先行して、
加盟に消極的でした。
「せっかく仲間だけで創業したのだから、何とかがんばっていこう」という意見でした。

各家庭でも奥さんといろいろ議論があったようでした。
私と大谷氏は最初からFC加盟に賛成でした。
しかし、身内からは不甲斐ないと批判される羽目になりました。
自分たちだけでやっていくことに限界を強く感じていましたから、加盟をきっかけにして
何とか現状を打開したいと言う思いでした。

平本さんや岡田さんを良く知っていたことも幸いしました。
結局、私と大谷氏の意見が通りました。
12月のチラシで店名の変更を伝えました。
「ファミリ−メガネは21柳井店、21南岩国店として生まれ変わります!」
これで何とかなる。私は単純にそう思っていました。
それから1年がたちました。しかし売上げは上がらなかったのです。