加盟者の声

 
 

【タイトル】未だ研修中です。
 
【加盟者名】榊原 佳紀 
 
お互いに独立希望のあった可児店佐藤さんと私ですが、
先に独立を果たした可児店佐藤さんよりの勧めもあり、
平成3年5月に21半田店として開業いたしました。

キクチ眼鏡学校を卒業後は老舗眼鏡店にて販売から仕入まで勉強させていただき、
メーカー・問屋さんとの交渉や、販促企画などにも結構自信がついておりました。
それでも完全に個人開業を目指すのかFC・VCに加盟するか悩んでいたところでしたので、
可児店開店時にお会いした三村さんにも惹かれ広島へお伺いしました。

当時の本部は田中電機工業様に間借りされておられ、
21創業の事情や組織も知らずに伺った私は、
コンピューター会社の一角で手数料3%・チラシも破格値で
10年後(つまり21世紀)に500店舗の規模になると熱く語る
平本さんがとても不思議な存在にしか思えませんでした。

おまけに当時交流のあった卸問屋さん(タニザワ様のちに廃業)からは
21の良い評判が聞けず、
逆に全面バックアップするから個人店にて開業するように強く勧められました。
この頃は自分でも独立方法に迷いがありましたので決心がぐらつきました。
ただ前年に卸問屋さんの支援で個人店を開業した可児店元上司の経営は芳しくありませんでしたし、独立自体を後悔される姿勢から個人店には不安を覚えました。

一方当時可児店の売上も順調とは言えませんでしたが、彼の姿勢はとても前向きでした。
彼が“それは一緒に悩んでくれる本部の方たちがいるのと、
21のやり方に自信を持っているから”と話してくれました。
その後可児店は危機を脱し、一人で悩まれた元上司は廃業なされました。

“やっぱり独立はやめたほうが良いのかな”とぐらつきかけましたが、
彼を見ているとやる気と21があれば自分でも独立出来るような自信が生まれました。

そして、打算(うまくいけば知多半島ぐらいは任せていただけるかもしれない)と、
安心感(いざとなったら可児店のように助けてくれるはずだ)の入り混じった
身勝手な加盟契約をお願いしました。

これは訪問当初いろいろ天秤をかけていた私に平本さんは
“あなたは何か勘違いしているようだが、
あなたがいくら私に一泡吹かせてやろうと思っても無駄です。

孫悟空が釈迦の手のひらで踊っているようなものですべてお見通しですよ。
それぐらいあなたと私はレベルが違うことを良く覚えておくように”と言われ
最初から魂胆は見透かされておりましたが、
FC・VC契約とは売上を上げることがすべて評価につながり、
仕入額の増加に貢献すれば本部や取引先に貢献でき、働いてよい生活をすることが
後から加盟される方の目標になると信じておりましたので
深く考えずに聞き流してしまいました。

21が運命共同体であることを理解せずに21を開業したことが
その後のご迷惑の発端になったと思います。

自己中心的な私は開業資金の乏しさとどこでも出来る自信から、
当時すでに商店街といえない場所で模型屋を営んでいた父親を追い出し、
自信たっぷりで開業しました。

案の定、看板だけの21で安く売ってあげているわけですから当然苦戦いたしました。
そんなときには売上が伸びないのは場所が悪いからやチラシがあたらないからと
責任転嫁をいたしました。
それでも本部のアドバイスで接客を妻に任せることで紹介が増えはじめ、
4年目の冬には売上が600万円を超え、
小さな店舗(12坪)に入りきらないお客様が外で待たれる状況にまでなり、
やっと半田店が認められたと思いました。

ここはチャンスと思い、お客様にご迷惑をおかけしながらも、
チラシの折込を止めませんでした。このときもきっと
“お客様に迷惑をかけるようならチラシをやめなさい”と忠告されたことと思いますが
耳に残らず、そして、更なる可能性を求めてスタッフを募集し、
可児店の後を追うように店舗を移転拡大し、
将来有望な眼鏡学校の後輩まで雇用してしまいました。

21の基礎を学ばずにいつのまにか本部代理を気取り、
名古屋でのミーティング仕入会の段取り・東海通信(会報)の発行・21タウン名古屋構想への参加などなんでも請け負いました。

ところが移転後の店舗も順調でしたので、じきに能力以上の仕事を抱え込むこととなり、
何も任せられない自分は仕事に追われる毎日に焦り苛立ちはじめました。
当時近隣に開業した知多店西村さんを、事前挨拶や相談がないと無視したり、
お客様やスタッフと些細なことで衝突することが多くなりました。

壁に貼った平本さんの“失敗は許す。手抜きは許さん!”という標語の前で、
未熟さを叱り当り散らされるスタッフは矛盾を感じたでしょうし。
特に期待した分後輩にはきつく接してしまい、
居場所の無くなった彼は退社を選択されてしまいました。

青年の夢をぶち壊すほどの騒動であったにもかかわらず、
当時の私はお叱りを叱咤激励と良い様に解釈し、
反省もせずにまた後輩を採用してしまいました。
とうとう平本さんに、

“理解していない人間が勝手に解釈し行動されることほど迷惑なことはありません。
じっとできないのなら、ぜひやめてもらいたい”とおっしゃられ、
やっとおかけしてきたご迷惑の大きさに気づけたように思います。

私の加盟者の声は21での反省記です。
お恥ずかしいほど数々の失敗をしてきた私が21の看板をまだあげさせていただけるのは、
レベルにあわせてお付合いしていただける本部の皆様と、
身近で支えてくれるスタッフの頑張りのお陰だと思います。

このメンバーが毎日楽しく働ける環境作りが今の私の仕事です。
常にお客様に接するスタッフが楽しく働くことが、
お客様に喜んでいただける一番の近道だと思います。
とにかく私1人が満足せず、
全員で喜びを共有できるお店にしていくことがこれからの目標です。

私は21で学び21で“人”として成長させていただきました。
私にとって21はメガネを教材にした道場です。
いちばん足りない“吾唯知足”を心がけ、
21の名に失礼の無い様スタッフ・お客様に接してまいりたいと思います。