加盟者の声

 
 

【タイトル】21と共に歩む-その@-ファミリーメガネ設立
 
【加盟者名】正井 滋 ファミリーメガネ(有)
 
3億1860万円(前年対比117%)―この数字はファミリ−メガネ有限会社の今期9月末での予測売上高です。
従業員数は21名で来年には2名の新人が入社予定です。
ファミリ−メガネがここまで成長するとは私も予想できませんでした。
平本さんから声をかけて戴けてなかったら・・今ごろは・・・考えただけでも背筋が凍ります。

1986【昭和61年】年6月ファミリ−メガネ有限会社がスタ−トしました。
タナカ時代の同期生 大谷氏、畑口氏、正井そして先輩の中室氏がそれぞれ500万円を出資して2000万円の資本金としました。
山口県柳井市−人口3万人程度の小さな町です。
大手のタナカさんやミキさんが出店していない穴場的商圏と考えていました。

店舗面積17.5坪。家賃97500円。2階には富士火災が入室していて、2階の方が目立つ小さなビルです。
17.5坪の中に男性4名と大谷氏と畑口氏の元タナカの奥さん2人合計6名が待機する万全の陣容でした。
6月はご祝儀客で400万円をクリアしましたが、その後は300万円をクリアしませんでした。

12月も300万円に手が届きませんでした。次の年の2月にはついに100万台に落ち込み、給与も1人に17万円しか払えなくなりました。
各人の生活が困窮しだしました。
士気も低下し、4人がいると息が詰まりそうなので、休憩時間を理由にして4人ともパチンコに逃避しだしました。
4人の共通の話題はパチンコ談義になり、1年も経たないうちから堕落し始めました。

各人はこのままではいけないとは考えていましたが口に出すと空中分解しそうで、士気はますます落ちていきました。
大谷氏と畑口氏の奥さん2人も他の職場で稼がざるを得なくなりました。
ちょうどその頃、倒産した熊本市のメガネ店が所有していた外販車が安く売り出されているという情報を得て、直接熊本市に買い付けにいきました。

店舗は主に中室氏と大谷氏が、正井と畑口氏が外販を受け持つ体制にしました。
3月から稼動し、近くの農協の本所や支所そして島根県の六日市の農協本所に出向くようになりました。
売上げは店と外販とで何とか300万円に手が届くようになりました。
しかし、外販でコンスタントに売上げを上げることは、無名のファミリ−メガネにとって至難の業でしたし、夏は特に大変でした。

結局、外販は10月で止め、売り逃げした形になり心が痛みました。
1987年の11月下旬に起死回生のために南岩国店を出店しました。
中室氏のお母さん名義の土地を担保にしての、借金1500万円でした。
しかし、みんなの期待の南岩国店も翌年の2月には60万しか売上げがなく、
ますます前途は暗くなっていきました。