加盟者の声

 
 

【タイトル】貸事務所からのスタート(メガネのヒトミ)
 
【加盟者名】谷口 栄治 
 
 メガネのヒトミ(赤羽店・竹の塚店)は、眼科の外商からスタートしました。
前の会社で上司だった溝内(仁)、国上と三人が創業のメンバーで、退職金に貯金を加えて200万の出資でスタートしました。その後、溝内の兄、以前の会社の男性二名と徐々に増えて行きます。

 お店と呼べるものはとても持てなく、駅から20分の小さなビルの2階に事務所を借り、加工機を置き、眼科が終わるとみんなで帰り、メガネを作ったり事務処理をしていました。
 毎日毎日、外商カバンを持って、バスや電車を使って、午前と午後で違う眼科を掛け持ちしてまわっていました。雨の日や暑い日は大変でしたが、自分たちのために頑張っているという実感があり、そんなにつらいとは思いませんでした。

 幸い、当初は先生方の応援もあり、出費も最小限でしたから、順調に資金を貯める事が出来ました。二年後には、念願のお店(今の赤羽店)を出すことが出来ました。
 ここまでは思ったより早く、順調で、溝内(仁)の慎重さ・手腕もあって上手く進む事が出来ました。お店は、まさに希望の城が出来た思いでした。

 ところが、創業当時に応援して下さった先生方が世代交代され、検査はすれどメガネにならない毎日に、自分たちも感謝の気持ちが薄れてきて、だんだんと売上も思うようにならなくなって来ました。しかも、期待したお店の売上が思うように上がりません。今思うと、長い間の眼科まわりで、接客も検査も偉そうになっていましたから無理もなかったと思います。男ばかりで、細やかな気配りもまったくありませんでした。

 販促にも費用と時間がかかり、周囲の大型チェーンとの差別化もままなりません。価格競争にも参戦出来ない状態でした。八方ふさがりでした。
 だんだんと行き先に不安が生まれ、士気も低下して来ました。溝内(仁)が病気で入院した頃が最低の、まさにどん底だったと思います。
結束しなければいけない時に、逆に崩壊寸前でした。解散した方が良いという意見もありました。離れて行く人もいました。あの頃の自分は最低であったと思います。転職も視野に入れて悩んでいました。

 自分では、外商に限界を感じていましたので、新店を出すことが最後の望みになっていました。真剣に出店場所を探すようになっていました。
そんな時にメガネの21のことを知りました。広島で前の会社を辞められた方々が頑張っていらっしゃることは存じていましたが、具体的なことは何も分かりませんでした。
 平本さんたちに声を掛けて頂いたのもこの頃でした。

眼科のつてで、竹の塚に物件がみつかり、21でやらせていただけることになりました。初めてチラシを拝見した時、本部の方々の自信と誇りを感じ、眩しく思ったことを覚えています。そして希望が湧いてきたのを覚えています。
 しかし、一方で、自分が責任者に決まり、本当に自分で良いのだろうかという葛藤も始まりました。失敗は許されないのに。(今でも思っていますが・・)

 初めて東海地区のグループミーティングに出た時は、感激しました。不安に思っていた時に、会議室一杯に東海地区の21の皆様がいらして、希望に満ちた熱いミーティングをされていたのです。ああっ、仲間がこんなにいる!頑張ってる!!とても勇気付けられたのを覚えています。

 さらに可児店を見学させていただき、理想のお店を観た感がありました。見ること聞くこと全てが感動でした。目標のお店がここにあると思いました。目指すものが具体的に見れたことは本当に励みになりました。

 さらにレギュラーの呉店で実習を積み、それこそ熱が本当に出てしまったぐらいに、充実した時間を過ごさせて頂いて、道みたいなものが見えた気になれました。皆さんが本当に親身になっていただいて、暖かく迎えていただきました。そして、みなさんが明るく仕事をされていて、本当に何一つ嘘がないんだなと感動しました。平本さんに「本当に嘘がないんですね!」と感動して言ったのを覚えています。この21なら頑張れると確信して帰ったのを昨日のことのように覚えています。

 その後いろいろなことがありましたが、その度に仲間として叱咤激励をいただき、こんな私でも責任者としてやってこれました。売上も徐々に伸びて来て、今では常時1千万を越える売上を維持出来、この8月にはニュースステーションや本部の発明したFitのお蔭で売上1,500万円を記録出来ました。夢のようです。
 他のフランチャイズでは絶対にあり得なかったと信じています。全ての皆様に感謝です。
 今後ともどうぞ宜しくお願い致します。ありがとうございました。

                           竹の塚店 谷口 栄治拝